宗祖親鸞聖人の生涯

昨日は2008年に大阪教区強化委員で制作されました「ただ念仏に生きる 宗祖親鸞聖人の生涯」という約40分のDVDを見ました。

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親鸞聖人の生い立ちからお亡くなりなるまでの一生を非常にわかりやすく紹介されていました。
親鸞聖人って名前は聞いたことあるけどどういう人か知らないと思われる方には最適かもしれません。

本作品は非売品ということで現在は手に入れるのが難しいかもしれませんが、定願寺の御門徒の方で見てみたいと思われる方は、若院に相談して下さい。

合掌


東本願寺に行ってきました。

年末に行ってから再び東本願寺に行ってきました。
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今回も3月の親鸞聖人750回御遠忌関連で訪れました。大阪よりも若干空気が冷たく京都に来たなという印象でした。

昨年、御門徒の方にお願いをして仏具を購入するための、又、法要をするための寄進をお願いし沢山の御寄進を賜りました。その中から東本願寺発行の三帖和讃本を購入してきました。
その本を購入するに当たって約1時間の待ち時間がありましたので、東本願寺内の参拝接待所を色々見学していました。
まず、目についたのはお焼香の仕方が書いている説明です。
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写真の通りですが

1 御本尊を仰ぎ見ます。(この時は合掌はしません)
2 左手を焼香卓端に添え、右手で御香をつまみます。
3 香炉に入れます(2回いれます。御香を頂いたり、手首を返したりはしません。御香の煙をあおぎません)
4 左手で御香の乱れを整えます(まだ右手は焼香卓に添えたままです)
5 合掌をします。
6 合掌を解き、頭礼します。

知っているようで知らない焼香の作法です。皆様はどうされていますか?一度ご確認ください。

またその他にも色々みていました。
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マッチ棒で作った御影堂門です。まだ未完成だそうですが名古屋教区の御門徒の方の作品だそうです。マッチ棒を1万本はゆうに超えて組み立てられているそうですが、制作途中で作者の方がお亡くなりになり、ご家族の方の希望で完成はせずにそのまま御寄進されたそうです。
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私もこの御影堂門は本山奉仕団で何度も登り、掃除をしたことがありますが本当によくここまで作った物だなーと思わず写真を撮ってしまいました。

そんなこんなで色々見ていると、和讃本の準備ができ担当の方が参拝接待所内の阿弥陀様の前に来て下さいと案内してくださいました。
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三帖和讃とは、親鸞聖人がお書きになった「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」の総称でありますが、一般的には「弥陀成仏のこのかたは  いまに十劫をへたまへり  法身の光輪きはもなく  世の盲冥をてらすなり(浄土和讃)」が有名ですが、お寺の内陣で向かい合わせに座った僧侶が開いて読む本をこのたびの御遠忌法要を機縁に新調させていただきました。

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東本願寺の方によると、この和讃本は、扱いをおろそかにしてはいけないという理由から、お寺へ直接配送することは出来ないそうで、東本願寺か別院にての販売となるでそうです。大切に使わせて頂きます。

合掌


ボウリング

16年ほど前から趣味でボウリングをしています。(ちなみに住職はボウリングしていません)
去年の1月にホームグラウンドだったくまたボウルがなくなり、現在は弁天町グランドボウルとボウルアロー松原に投げに行っていますが、独身の頃と違ってなかなか思うように投げる事ができませんが、健康と趣味を兼ねて今でも週1を目標に投げています。

今日は2週間ぶりに夜の試合に出ました。
練習ボウル~1ゲームは、感を取り戻すような投げ方を心がけ、2ゲーム目からは、”ボールの重さで振り子”を心がけて投げました。

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ハンデ10ピン×4G分あるのでなんとか上位入賞と・・・頑張った結果
個人優勝とハイゲーム賞を頂きました!!

普段あまり運動をしないので適度な運動と良い息抜きができました。

合掌


けれど空は青

私にとって大切な人が今日亡くなりました。35歳の短い人生でした。
自分も彼もCHAGE and ASKAさんが大好きでした。

その彼が好きだった曲、askaさんの「けれど空は青」を今日はBGMできいています。

 

残らずに 残さずに 心のあるままに 向くままに
信じれば 信じれば いつもの空
手も振らずに別れた 思い出色した夢たち
もしも涙で色が消えても けれど空は 空は青

「けれど空は青 ~close friend~」作詞:飛鳥涼より引用

 

私の中で彼はいつまでも生きていくことでしょう。これよりお通夜に行ってきます。いままで本当にありがとう。

合掌


当たり前

私にとって大切な人が病で入院し、毎日が山と言われて数週間がたちます。
去年の年末あたりからは、もう治療の施しようがないそうです。

怪我や病気をした時など、ふとした時に思うことがあります。
当たり前って思っていたことが実は特別だったんだと・・・・・。

白骨の御文という有名な御文があります。原文は少し難しいのでwikipediaより白骨の御文の意訳文を紹介させていただきます。

ーーー
さて、人間の内容の無い生活の様子をよく考えて見ますと、およそ儚いものは、人間の生まれてから死ぬまでの間のことで、それは幻のような生涯です。
それゆえに、いまだ一万年の寿命を授かった人がいたなんてことを聞いた事がありません。人の生涯は過ぎ去りやすいものです。今までに誰が百年の肉体を保ったでしょうか。〔人の死とは、〕私が先なのか、人が先なのか、今日かもしれないし、明日かもしれない、人より後であろうが先であろうが、草木の根元に雫が滴るよりも、葉先の露が散るよりも多いといえます。それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕には白骨となる身であります。もはや無常の風が吹いてしまえば、即座に眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまい、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、一切の親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事もできない。
そのままにはしておけないので、野辺に送り荼毘に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、ただ白骨だけが残るだけです。哀れと言っただけでは言い切れない。人生の終わりは、年齢に関わりなくやってくる。だからどのような人も「後生の一大事」を深刻に受け止め、阿弥陀仏から他力の信心を頂いて、念仏申すべきであります。
ーーー

「生まれる=いつか死ぬ」は自然界の当たり前の話で解っているつもりです。でも、なかなか理解できないものです。
いつまでも元気で生きていることが当たり前だと思っているからです。

毎日の日々の当たり前こそが特別なのかもしれません。

合掌


感謝状

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この写真は親鸞聖人の七百回御遠忌法要が定願寺で勤められた時にお世話になった総代さんに先代住職が送られた感謝状です。
この感謝状を見るに、親鸞聖人の七百回御遠忌と生誕八百年と定願寺の開基五百回忌の3つの柱で法要が勤まったようです。
今からざっと40年程前です。この感謝状を見ながら私にこんな話をして下さいました。「当時は毎日のように総代や沢山の役員さんがお寺に集まって法要をするための会議を住職と共にしていました。この法要の時にお稚児さんがでた事を覚えています。稚児行列の時に当時お父さんが総代をしていたご縁で20名弱の僧侶が御内佛の前で読経をして下さったことを覚えている」と話してくれました。
歴代の総代さんをはじめ、様々な役員の方々が定願寺を支えて下さったのだなと改めて感じました。来年・来年といっていた親鸞聖人750回御遠忌もあとわずかとなってきました。

 

合掌


やしきたかじんさん

今朝のニュースの訃報で知りました。大変驚かれた方も沢山いるのではと思っていますが私もその1人でした。

やしきさんの大ファンの友人がいてその友人に誘われてコンサート会場まで過去に何度も行ったことがあります。
やしきさんが五十歳で歌手を引退する?!最後のコンサートがたしか大阪フェスティバルホールでありました。その時の話で「自分は練習が嫌いで、でも、バンドのメンバーは自分のために一生懸命になっているのに、歌が音がへんやったら音響のせいやとメンバーを困らせたこともあったけれども本当に感謝している」というような内容の話をされていました。やしきさんは色々皆様もご存じの通り良いも悪いもパワフルな生き方をされた方でしたが(テレビからはそういう風に見えた)、コンサートでは優しさが前面に出るような一面もあるお方でした。

そんなやしきさんを私はMCも歌も含めて好きでした。後にも先にもあのような豪快な方はなかなか出てこないと思いますが、残念でなりません。謹んで哀悼の意を表します。

合掌


七草がゆ

春の七草はセリナズナゴ(オ)ギョウハコベラホトケノザスズナスズシロと覚えたものですが、今日は七草がゆをいただきました。

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Wikipediaで七草がゆを調べるとその歴史は古くて平安時代にはあったが、室町時代の汁物が原型なんだそうです。意味は皆様もご存じの通りその一年の無病息災を願って食べられる。祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われる。とあります。(Wikipedia)

この七草の1つホトケノザですが、仏の座とも書きます。
ホトケノザ

お内佛の阿弥陀様の仏の座は
阿弥陀木造
ちょうど足下の当たりでしょうか。たしかに比べてみるとよく似ています。仏の座という花の由来はここから来ているそうです。

ちなみに七草がゆに入るホトケノザはコオニタビラコという品種だそうで上の写真のものを用いることはないそうです。
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(オコニタビラコ(ホトケノザ))
お正月で疲れた胃を休めたり、不足しがちな栄養素を補給したりという効能があることから無病息災の縁起を担ぐというよりは、自分の健康管理に気をつけなくてはならない時期なんだということですね。

自分に良く言い聞かせて・・・・

 

合掌


修正会法要終了

お正月もあっという間に3日たちました。御門徒の皆様には沢山の新年御懇志を頂戴しましたこと深く御礼申し上げます。

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こちらのブログでも紹介させて頂きましたが今日は、年末に作ったお飾りの鏡餅を切って袋詰めしました。
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今回は子どもも手伝ってくれました。また、365日ほぼ毎日定願寺のお世話をしてくださっている伊室さんも手伝ってくれました。
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次回の法要は3月23日に控えている大法要です。あっという間にやってきそうで怖いです。儀式作法も含めてこれから大急ぎで準備してきます。

さて、定願寺では毎年1月1日より5日までは法務休暇とさせていただいています。毎月の月参りは6日よりさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。

合掌

修正会式次第

1月1日
先 出仕
次 総礼
次 漢音阿弥陀経
次 短念仏
次 回向 我説彼尊功徳事
次 総礼
次 表白
次 正信偈 中讀
次 念仏讃 淘五
次 和讃 弥陀成佛のこのかたは 次第六首 五遍返
次 回向 願以此功徳
次 御文 或人いはく(一帖目 第一通)
次 退出
一、 法話 新年を迎えて

1月2日
先 出仕
次 総礼
次 漢音阿弥陀経
次 短念仏
次 回向 我説彼尊功徳事
次 総礼
次 表白
次 正信偈 中拍子
次 念仏讃 淘五三
次 和讃 光明月日に勝過して 次第六首 五遍返
次 回向 世尊我一心

引き続き(1/1~5日)逮夜経

先 出仕
次 総礼
次 伽陀 先請弥陀
次 表白
次 御経 仏説阿弥陀経
次 短念仏
次 願生偈
次 念仏讃 淘三
次 和讃 一首目 十方微塵世界の 二首目 恒沙塵數の如来は 三首目 諸佛の護念證誠は
次 回向 願以此功徳
次 御文 出家発心(一帖目 第二通)
次 退出
一、法話 新年を迎えて

1月3日
先 出仕
次 総礼
次 漢音阿弥陀経
次 短念仏
次 回向 我説彼尊功徳事
次 総礼
次 表白
次 正信偈 中拍子
次 念仏讃 淘五三
次 和讃 安楽佛土の依正は 次第六首 五遍返
次 回向 願以此功徳
次 御文 猟漁(一帖目 第三通)
次 退出
一、 法話 新年を迎えて


ブッダガヤ

2014年の幕開けとなる修正会法要が勤まりました。

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午後より1冊の本を読みました。あるジャーナリストの方が書いた仏教の入門書のような本でした。

本の中にインドの話が出てきますが、今日はこの本を読みながらこんなことを思い返していました。私自身、大谷大学短期仏教科の時に研修でインドに行ったことがあるのですが、釈尊の史跡なども載っていて当時研修した場所の1つブッダガヤが、紹介されていました。

ブッダガヤ
これは若院がその研修の時に撮影したブッダガヤの大菩提寺の写真です。当時はこのように修復作業中でした。

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こちらは仏塔の内部の釈迦牟尼世尊です。この写真も同じく研修の時に撮影した物です。
ブッダガヤはもう皆様もご存じの通り、釈尊が悟りを開いた場所であり、現在は世界遺産になっているようです。

親鸞聖人は
如来所以興出世 唯説弥陀本願海

【読み方】
如来〈にょらい〉、世に興出〈こうしゅつ〉したまうゆえは、
ただ弥陀〈みだ〉本願海〈ほんがんかい〉を説かんとなり。

と正信偈に書かれていますが、釈尊が、この世間にお出ましになられた目的は、ただただ、阿弥陀仏の海のように広大な大悲の本願のことをお説きになるためであった、ということでありますが、すべての原点はこのブッダガヤからはじまっていると言っていいのではないでしょうか。

またブッダガヤには大きなハス池がありますが、
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ブッダガヤのハス池〈写真は適当な写真が古ぼけていてためネットより拝借)は釈尊が沐浴されたとされていますが、当時私はこのコブラの中に座っている釈尊に向かい「ブッダンサラナンガッチャミー」と唱えた時に国籍を超えて大合唱したことを思い出しました。意味も無くなぜか涙をながして感激したことを今でもはっきり覚えています。釈尊が悟りを開いた場所は15年も前に研修した場所ですが又行ってみたいと思いました。

 

Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi (ブッダンサラナンガッチャーミー)
Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi (ダンマンサラナンガッチャミー)
Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi (サンガンサラナンガッチャミー)

(パーリー文といって私は仏に帰依します。私は法に帰依します。私は僧に帰依しますといった三帰依の意味)

歌にもなっているのですが、自分が子どもの頃、先代住職がよく歌っていたのを思い出しました(笑)

 

 

いつの日か定願寺からインド旅行に行く日があればいいな・・・・・と思いました。

合掌