子ども食堂 in 定願寺
ウルフェス中止のお知らせ
ありがとうございました
本日の盂蘭盆会永代経法要を持ちまして2024年度のお盆のお参りが終わり円成しました。
総代様、年当番の方をはじめ沢山の方にお世話になりました。ありがとうございました。
12日の初盆から含めると80名を超える有縁の方々に集まって頂きました。命の尊さを感じたお盆になりました。
また今年は定願寺だけではなく親戚のお寺さんが入院したこともあってピンチヒッターでお手伝いしましたから1日で親戚さんが集まる法事を4回するなど経験をしたことがないスケジュールでしたがおかげさまで無事に終えられたことを感謝しています。
今はちょっと休みたいですがもう少し頑張ります(笑)
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#ありがとうございました
#合掌
ウルフェス in 定願寺
ウルフェスという音楽イベントを開催します。当日は「NPO特定非営利活動法人smileちあふる」さんによる子ども食堂を開催します!
大人も一緒にカレーを食べていただけます(大人は有料)。そのカレー代金は子どもたちの子ども食堂の資金になります。8/31はお昼ご飯を作らずにカレーを食べにきてください!そして素敵な音楽もよろしくお願いします🙇
日時 8月31日(土)
横断幕作り 10:00より
こども食堂 12:00より
音楽イベント13:00より
場所 定願寺
住所 大阪市生野区巽南1−10−10
お問い合わせ 06-6758-1684
以下 主催者の大山さんのRepostになります
#Repost @oyama.dream_challengers with @use.repost
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【主催より大切なお知らせ】
2024年は
8/31㈯と9/15㈰にウルフェスを開催します。
このイベントを通して何を伝えたいのか。
どんな境遇や環境に生まれたとしても
『一歩、踏み出せば世界は変わる!』こと。
それは、誰にでもある可能性…
池に石を投げこめば、
広がる波紋のように
小さな勇気は大きな波紋となって
やがて希望(ゆめ)となる。
だけど
僕らは大人になるにつれ、
いつの間にか石を投げこむことを
しなくなる。
何故だろう。
過去にとらわれ自分を信じられない?
自分を愛することができない?
夢を見ることを諦めてしまっている?
僕はそうだった。
他人のせいにしていた。
でも
音楽を聴いて憧れたり
時には励まされ社会に出る勇気をもらった。
人の優しさに触れて…繋がる幸せを知った。
それまでモノクロだった僕の世界に
一つ、また一つと色が増えていった。
色が増えると心も色づき感情が芽生えて人らしくなる。
そしてその感情は、
過去の自分と同じようにモノクロの世界にとらわれている誰かのために
出来ることをしたいと叫ぶようになる。
ウルフェスは、
音楽を楽しむだけでOKなんです。
ただたった一人にでも
過去の僕と同じように人生が変わるようなきっかけになるのであれば
人生をかけてやる価値があると思っています。
生きることに絶望していた少年時代、
ブラウン管に映るアーティストのキラキラのパフォーマンスに
救いを見つけた。
だからウルフェスでもそのキラキラをお届けします。
まずは、8/31㈯小丘山定願寺さんでのウルフェスにご期待ください。
【小丘山定願寺】様
【特定非営利活動法人smileちあふる】様、その他ご協力いただいている関係者さま
本当にありがとうございます。
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#smileちあふる
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定願寺を利用するにあたって
5月29日に行われました、EXPOいくのミーティングにて「巽南地域の昔の地図をつくりたい」ことと、「場所を提供したい」事を発表させていただきました。
この日から連日お問い合わせをいただき、コラボ企画がどんどん集まり決まったりしてとても盛り上がっています🙇
今回は場所の提供について、少し思う所を書かせていただきます。
例えば6月29日に行う予定の太鼓集団烈火さんとのコラボですが
「活動内容が明白」で、「YouTube等で紹介」されていて、「誰でもその内容がわかりやすく」、僕も「一緒に応援したい」「一緒にやりたい」と思う事が多くありました。
「地域の人の為」になったり「繋がり」であったりを感じましたのでとてもいい形でコラボさせていただく事になりました。
が、過去も含めてこれまでのお問い合わせの中でイベントなどを開催できなかった残念なケースもあります。
「一緒にコラボ」という形を取りたいので場所提供だけではなく、「お寺の設備を使っていただく」事をはじめ、「地域の方々に参加を呼びかけ」たり、一緒に「コラボをするかたを応援したい」ので、どういった活動内容かを聞いた上で、一緒にやりたいと思えないと難しかったりします。
例えば「内容がわからない活動」や「セミナー」、「著者が本人では無い他の方の出版物等において演説」「勧誘を目的とした内容」は難しいです。
「ご門徒さんあってのお寺」なので「ご門徒さんが困るような内容」と判断する場合、「お寺で今まで伝えて来たことに反する事、タロットなどの占いや、これをしたら幸せになるなどの宗教じみた事、カウセリングやセラピーなど」はNGです。
後よくあるのがホームページやInstagramをみて、お寺に協力したいと言う方は大歓迎なのですが、その内容が「納骨や葬儀を紹介します」などの「企業案件」もお断りしています。
もちろん「法に反する事は絶対だめ」です。
過去に実際にあった話ですが定願寺を使っていただく利用規約に「真宗以外の宗教活動は利用出来ない」という項目があります。
主催者が「宗教活動でないと言い張ってもこちらがそのような判断をした場合はご利用頂けない」ことがあります。
今回は特にEXPOいくのヒートアッププロジェクトで沢山の方の前でお寺を使ってくださいと言いましたが、お寺を使うという事はレンタルスペースやフリースペースではありませんので一方的に場所だけ貸して何かをするは少し違うと思っています。
「お互いに話しあい」「理解しあって」「地域」や「たくさんの方が笑顔」になって帰っていただけるようなそんな場所を目指していますので、「ただ場所を使うというよりは一緒に広めたり楽しめたり出来る方」に使って頂きたいです。
ご利用にあたっては「打ち合わせをさせて頂き」どのような内容であるかを「必ず聞かせて」いただいています。「内容が見えない」「何をするかわからない」では地域の方に説明もできません。
定願寺のパートナーになる方の「SNS」や「どのような活動をされているか」を調べさせていただき、それらの内容からお断りする事もございます。
「落語会」や「演奏会」「フリーマーケット」などの物販イベント、「縁日」のような飲食イベントなど「沢山の方が興味を持って笑顔になれるようなイベントを理想」としています。
住職に素敵なプレゼンをして頂きそれは面白そう!と思える内容でしたら住職の熱量も変わりますし宣伝の質も変わってくると思います!
人と人が繋がり、みんなが楽しく過ごせるような使い方をしたい方はぜひぜひご連絡お待ちしています。
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#expoいくのヒートアッププロジェクト
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#場所提供について
小丘山定願寺
大阪市生野区巽南1-10-10
開門時間8時-17時 (毎月15日31日は閉門しています)
烈願祭
小丘山(しょうきゅうざん)とは
小丘山(しょうきゅうざん)定願寺の山号(さんごう)である小丘は字の通り小高い丘を指します。
昔は巽南1丁目1番あたりに人工的作られた堤(つつみ)(西暦326年 仁徳天皇13年に天皇の命令で作られたとされる丘堤)がありました。
平野川は現在は巽南と今林を結ぶ橋がかかっていますが、それよりも北側、東部市場を通るように西の方へ急に曲がって(フルタ製菓さんの方へ)いますが、昔々の大昔は今の田島のお墓あたり?から北側にむけて入り江になっていたそうで、その平野川の入江の手前からおおよそ一町(いっちょうと読みます。おおよそ110メートル)ほどの長さで東西にかけて堤がありました。
平野川の堤は南北にかけてありましたがその堤を縦に見立てて縦の堤、東西にある堤を横の堤と呼ばれていました。
その横に向う堤から見渡す景色は非常に美しく
「霜枯れの横野の堤風冴えて入汐遠く千鳥鳴くなり」(藤原光俊・続古今和歌集しょくこきんわかしゅう)とありますように堤から見た景色を歌われております。(この続古今和歌集は鎌倉時代なので1200年代の作品です。定願寺の誕生は1412年ですからその頃はまだ入り江だったようです。)
定願寺が所有する「開基正長に係る記録巻物」(大阪市有形文化財)によるとこの堤には、後醍醐天皇宮、若宮八幡御殿、後村上天皇宮があると書かれていますが、つまり神社(現存すると国宝級の神社です。後の文献などの研究から横の堤にあるから横野神社と呼ばれた事がわかる。先ほどの和歌と同様に横野のつつみにある神社だから横野神社と言った)があり、その神社の隣には楠正成・正行・正儀の廟、つまりお墓があった。(余談ですが定願寺にはこの3名と正長の母を合わせた4名の御位牌があります)
また、定願寺開基の楠正長の屋敷、道場(定願寺の事)があったと地図と説明書きが残されています。(スーパー万代の南側から見える景色の全てが神社やお墓やお寺だと想像すると凄いと思いませんか?)
大阪城落城の時(つまり大坂の陣、夏の陣・冬の陣ですから1614-1615年)の時、平野から勝山(今の生野区役所のあたり)に一夜にして大道を築いたとありますが、要するに道を作ったとあります。
つまり平野川の横にあった広大な規模の丘堤の土を使って一晩にして平野から勝山まで道を作ったために今はその丘堤はないが、山小路という名称として残していると書かれてあります。
当時の方は天皇の命令で作られた堤ということを知らなかったようです。
最近になって古文書など様々な古い資料が解析されたことからこれらのことがわかってきました。(巽南に水時橋という橋がありますがそのご近所に住まれている岡田さん(元教育委員会・歴史研究専門)という方が定願寺や平野川の研究をされていまして講演などもされていました)
また定願寺の門徒さんで故、林千代乃さんという方がいらっしゃいまして、その方が子どもの頃(昭和初期)は今のスーパー万代巽西店のあたりに遊びに行く時は「山小路に行ってくる」というような使い方をしたと私におっしゃってくださいました。(昔の地名は四條村字山小路)
今はこのあたりには跡形も何もありませんが、万代の駐車場の南側から南の方を見ると1メートルほど駆け上がっているのがわかります。
また田島中学校から東部市場に向かって交差点の手前から南の方を見ますと道路が少しずつ駆け上がっているのがわかります。
この地形こそがまさに小高い丘があった名残りで山小路の名残と言っても良いと思います。
この写真は荒れ果てたお地蔵さんの祠です。巽南1丁目1にありますが、この辺りが定願寺の元々あった場所だそうです。
石碑も何もなく荒地となっているのは非常に残念です。
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