私にとって大切な人が病で入院し、毎日が山と言われて数週間がたちます。
去年の年末あたりからは、もう治療の施しようがないそうです。
怪我や病気をした時など、ふとした時に思うことがあります。
当たり前って思っていたことが実は特別だったんだと・・・・・。
白骨の御文という有名な御文があります。原文は少し難しいのでwikipediaより白骨の御文の意訳文を紹介させていただきます。
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さて、人間の内容の無い生活の様子をよく考えて見ますと、およそ儚いものは、人間の生まれてから死ぬまでの間のことで、それは幻のような生涯です。
それゆえに、いまだ一万年の寿命を授かった人がいたなんてことを聞いた事がありません。人の生涯は過ぎ去りやすいものです。今までに誰が百年の肉体を保ったでしょうか。〔人の死とは、〕私が先なのか、人が先なのか、今日かもしれないし、明日かもしれない、人より後であろうが先であろうが、草木の根元に雫が滴るよりも、葉先の露が散るよりも多いといえます。それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕には白骨となる身であります。もはや無常の風が吹いてしまえば、即座に眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまい、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、一切の親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事もできない。
そのままにはしておけないので、野辺に送り荼毘に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、ただ白骨だけが残るだけです。哀れと言っただけでは言い切れない。人生の終わりは、年齢に関わりなくやってくる。だからどのような人も「後生の一大事」を深刻に受け止め、阿弥陀仏から他力の信心を頂いて、念仏申すべきであります。
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「生まれる=いつか死ぬ」は自然界の当たり前の話で解っているつもりです。でも、なかなか理解できないものです。
いつまでも元気で生きていることが当たり前だと思っているからです。
毎日の日々の当たり前こそが特別なのかもしれません。
合掌